日々なる雑感

日常をただ適当に(但しミーハー)

3/11 夢に色がない理由

あの日、事情で転校する娘を迎えにいくために小学校に行き、帰りの道で大きな揺れを体験しました。たまたま娘を見送るために全員外に出てたクラスメートさんたちは、すぐに校庭に避難できたと後から聞きました。それが小学校3年生のとき。

その後、新しい学校で順調に学校生活を送ったけれど、そのまま進んだ中学では行ったり行かなかったりの不登校気味で、さらに転校を余儀なくされた最後の中3でも、不登校気味は変わらず。行ける学校はあるんだろうか……と胃が痛くなる思いをしながら、昼間定時制の高校に進学しました。もともと学力が低いわけでなかったし、過去問をしっかりとやりこんでいったためか、入試成績はトップだったそうです。※入学式での新入生挨拶の依頼が中学校を通して来たときに、判明しました。中学の先生方はそれはそれは喜んでくださったのを覚えています。しかしその後、担任の先生と絶望的に相性が悪かったり、登下校にやたら時間がかかることもあいまって、単位をいくつか落としてストレート3年では卒業できないことになりました(娘の通う定時制は時間割通り出席できていれば3年で卒業できるタイプでした)。そのままずるずると家で何をするでもなく過ごしている娘をみるにつけ、どうしたらいいのだろう…とたくさん悩んだ結果、同級生と同じタイミングで進学できる道を勧めました。以前書いたことがあるのですが、高卒認定を取り、大学受験をする方法です。幸いなことに、独学が厳しいであろう数学と英語を高校で単位を取得できていたので、特にサポート校などに通うことなく、自宅学習で試験に臨みました。結果一回ですべての単位を取ることができ、そのまま今でいう総合型入試にチャレンジ。なんとか合格をいただきました。本当にホッとしたのを覚えています。

 

いざ入学すると、娘たちの学年はコロナにとにかく振り回されましたね…。1年前期はフルリモート、後期は半分対面半分リモートで終わりました。その間を縫って実習にも行ってました。でも通常は2週間の実習が1週間になってたのはラッキーだったのかも。自慢するようないい成績ではありませんでしたが、単位を落とすことなくすべてクリアして2年生へ。2年生は基本対面授業で、実習も2週間フルでした。出席回数がギリギリになってる授業がいくつかあって、朝起こすプレッシャーで死にそうになりながら、サポートしてましたね。何度、朝険悪になって絶望したか思い出せません。2年生後期は出席回数をチェックして、足りなくなりそうな授業のために必死で起こしていた記憶ばかり残っています。同い年の子を持つお友だちに聞くと、勝手に起きて1人で登校していくよ、なんてことも言われて羨ましくなりました。ちなみにバイトのときはちゃんと起きるので、今就職先でのバイトに関しては自分で起きてます。なんでだ。2月頭で授業は全部終わり、出席もなんとかすべてクリア。あとは3月頭の卒業予定者発表を待つばかりでした。たぶん大丈夫なんだろう、と分かっていても心臓に悪い1カ月でしたね……。そして当日、アラームをセットして起きて、ポータルで学籍番号をチェック。無事に番号を見つけて、安堵のまま二度寝しましたw 

 

娘は高卒認定→短大だったので、短大を卒業できないと、最終学歴がけっこうしんどいことになるので、家族あげてのフルサポートでした…。そんな年の娘に過保護…と思う人もいると思いますが、うちのケースでは必要なサポートだったと思います。一般的には、という言葉はあてはまりませんでした。就職だけは、すんなりと第一希望のところに内定をもらえたので、拍子抜けでした。面接では高卒認定から短大に進学したことを詰められるかと思っていたのですが、頑張ったんですね、という言葉をもらったそうです。この辺はホント面接官の人それぞれの捉え方ですよね。高校生活をつつがなく送れなかったことに重きを置く人もいると思うので。いわゆる22卒組なのですが、娘たちが通う学科の子たちの志望業界は秋~がメインの就活シーズンなので、のんびりだな~とおもいながら見守ってましたね…。

 

というわけで、一筋縄ではいかなかった娘の育児は、一応もうすぐ終わりになります。社会人の娘との生活は、それはそれでまたいろいろあるとは思うのですが、朝起こさないと人生終わる、みたいなプレッシャーから解放されたので、とりあえず仕事のシフトを夜遅くまで入れることができるようになりました。よかったー。

 

タイトルの「夢に色がない理由」はNMB48の曲ですが、歌詞がとてもいいのです。進む道は何色かあるうち、どれかの色に決まったものだけとは限らなくて、自分で思い思いに描いていけばいいことを教えてくれる曲です。卒業ソングというイメージなので、余計に今の我が家に響く曲なんですよね…。