日々なる雑感

日常をただ適当に(但しミーハー)

4/10 あれから20年経ちました

2001年4月9日

すでに予定日を過ぎており、推定体重も3300g超えということで計画入院して陣痛を誘発させることに。しかしドクターが言うところの「熟していない」子宮口のため、そこをこじ開ける処置からスタート。午前中にタクシーで病院まで行き、入院。すぐに子宮口を開くためのラミナリア(海藻でできた棒)を入れられる。ちょっと…いやかなり痛いという前評判だったので、覚悟して臨んだところ、ん~まあそれなりに痛いけど、たぶんこれからやってくる陣痛からしたら全然だろうね、と思った(記憶がある)。

笑っていいともをベッド横のテレビで見ていると、おなかが等間隔で痛むことに気づく。えーともう陣痛?? となるので看護師さんに報告するも「まだちゃんとした陣痛じゃない」といなされる。そうなのか…だんだん痛くなってくるけど、違うの? と思いつつ夜まで過ごしたけど、やっぱり痛いよ? となりつつ、面会時間が終わり、家族が帰宅。携帯が病院で使えないため、携帯の留守電を聞くと、仕事の用事で一件録音されていた。そろそろですよ、とか言われてなかったので、個人的には予定外の筆者校があがってきていて(前年に取材してあって熟成されたもの)、送るよー! という連絡。すでにこれは陣痛じゃ……と思っていたため、急いでベッドサイドの電話で編集者に連絡し、「すみません陣痛始まっちゃったので、すぐだと見られません」と伝える。事前に「◎◎頃、筆者校出るから」とか言われてたり、言われてなくても「いまレイアウト出してるから」とか何か欠片でも教えてもらっていれば、手配できたのだけど、さすがに急すぎてギブ。編集者は「あ、じゃあ今回は見ないってことですね!」と若干お怒りであった……。はい、見れません…と謝って電話を切る。このやりとりを同室の皆さんは聞いていたので、「陣痛室で仕事している人がいる……」とみんな思ってたらしい(産後に聞いた。そりゃそうだ)。

なぜか分からないけど、陣痛室からトイレが異様に遠く、5分間隔の陣痛が続いていると、トイレに行って用を足して帰ってくるまでに、次の痛みがやってきてしまい、その痛みを逃すために廊下で立ち止まる妊婦に何度もなっていた。ビロウな話で恐縮だけど、まだまだ陣痛認定してもらっていなかったため、カンチョウなどもしてなかったのに、頻繁にトイレに行っていた記憶がある……。

夜明けに近づくにつれて、痛みが本当にしんどくなってきて、うぅぅ……と声が漏れるほどになる。うとうとしては痛みでうなる夜が過ぎてゆく。

 

2001年4月10日

朝になったのだが、看護師さんから「今日はお休みね」という謎の言葉とともに飲み薬をもらう。

診察時間になり、いちど分娩室で診ますね~と言われて、移動。ドクターが診てすぐ、「これ分娩始まってるよ! 旦那さんに連絡してあげて」と言われ、心の中で「ほら、やっぱ陣痛じゃん!!! だってめちゃくちゃ痛いもん!」と思っていた。しかし、5分間隔の陣痛をよそに、開かない私の子宮口。次はバルーンを入れられる。痛かった。これは痛かった。覚えてる。

LDRという分娩もできる個室を希望していて、さらに運よく空きがあったので、すぐに移動。助産師さんに、おうちに電話できる? と聞かれて、「う……」となっていたら、ドクターが「連絡してあげて!!」と怒っていた。ありがとうございます。スタッフには厳しいところがあるけど、妊婦には最大級の信頼感を与えてくれるドクターでした。まじで神だった。

そのあと、病室でうんうんうなって、痛い痛いと大騒ぎし、ヒッヒッフーを大真面目にやり、15時前に無事出産しました…。いよいよって時はマックスに痛かったので、夫には遠慮があって噛みつかなかったけど、母には文句垂れてた記憶もある。ごめんなさい。そして陣痛の波を我慢するのを続けていくうちに、なぜか「いきんでよくなったら、楽になれる」と勘違いしていて、いきんでいいよ、と言われたので、やったー!っていきんだら、陣痛より痛くて気絶するかと思った。あと、そのときかけてた曲は今聴いても、じんわり腹が痛む。なので、ずっと聞き続けたい名曲はもしかすると、分娩のBGMにしないほうがいいかも……。セレクトした自分を恨んだので。ちなみに出生体重は3000gくらいでした。背が高くて(寝ているので「長い」って感じだけど)、足の骨の長さで出す推定体重は実際より300gも重たかった。いまどきの子なので、今も足は長いほう。身長は私と同じ。高い方。

 

というのを20年前にやっていたのでした。本日をもって娘、20歳です。祝成人。いつもの洋菓子店でケーキを予約していたので、引き取りにいきました。春らしいよいお天気でしたね~。20年前のこの日も暖かくて、というかもはや暑かった。ちょうど土曜だったので、当日にケーキでお祝いできてよかったです。はー、もうお酒飲めるんだって! なんかビックリです。正直いろいろ大変だったし(今も大変っちゃー大変)、もう1回同じことやれって言われたら全力で無理なんだけど、母しみじみです。

ちなみにエイトとか、滝沢歌舞伎のこどもの日バージョンとかに親子で行っていた印象がヲタ友さんたちにはみんなあるらしいので、小学生で止まってるんですよね笑 出会ったころで年齢って止まりますよね。分かり過ぎる。最近、婦人科系の検索をすることがたびたびあるのですが、私の年齢くらいで妊活されてる方もわりといるみたいなので、人生って長いわぁ~と思います。成人見届けて、ふーって肩から荷物下ろす人もいれば、これからよっしゃ子育てするよ! って人もいるわけで。あとは予約した振袖での前撮りを済ませたら、あとは淡々と朝起こして、学校に送り出す生活を残りの間頑張るだけです。…だけにして(懇願)。

 

そして、夜には昼夜公演で疲れているであろう、りかちゃんと「オンラインおしゃべり会」の振替がありました。iPadにzoomをインストールして、初めて使うので、初期設定だと、こちらの声が向こうに届いてなかったり、こちらの画も見えてなかったり、とバタバタでした。事前にスタッフのSさんが登場して確認。そして隣にいるりかちゃんにバトンタッチしました。公演お疲れ様、と今日娘誕生日なんだーと伝えると、ハッピーバースデーの歌を歌ってくれて、娘の名前を聞かれました。可愛い名前だね、と褒めてもらったので、命名した私は嬉しかったですねー。娘も現場に連れてきて、と言われたので、難波のファンなんだよねー、というと、それは誠に遺憾に思います! とご立腹w 楽しくお話しできました。色々話せる時間あるわ〜と思ってると、横から、そろそろ時間です、とsさんの声。引き裂かれるー、とりかちゃんが言って、お話し会無事に終了。sさんも、引き裂いてしまいましたが…とノリよく笑いました。楽しかったです。

そんな感じで一日がすぎて行きました。

バタバタしていて、頭の芯が興奮状態立ったのか、なかなか寝付けず、すっかり寝不足です。とりあえず新潟に向かっていますが、新幹線で寝られるといいな…。待合室でぼーっとしてたら、出発寸前で焦りました。気をつけよう。

 

付け足し。

 

今、眉毛だけ描いてすっぴんにマスクで新潟に到着して、ホテルの部屋でゴロゴロしています。ここからちゃんとメイクするわけですが、結局はマスクをするわけで。そういう意味では、オンラインおしゃべり会のためのメイクはマスク無しなので、ちゃんとやらなきゃ! と真面目にやりました。いや、今日もちゃんとやるけども。